コーヒーの歴史
2008年10月01日
コーヒーハウスの誕生
コーヒーは 1630年代にイギリスに伝わり 1650年に オックスフォードに イギリス初のコーヒーハウス『ヤコブの店』がオープンします。
コーヒーハウスは別名『ペニーユニバーシティ』と呼ばれ 1ペニーの入場料で新聞を読んだり 情報交換の場所であったみたいです。
最盛期には ロンドンだけで3000軒もあったらしいです。
また女人禁制であったのですが コーヒーが 夫達の精力を減退させ,夫婦関係に 悪影響を与えるとして 主婦達から市長あてに 規制の嘆願書が出されるなど 笑っちゃう話もあります。
そーそー、 世界最大の保険機構である『ロイズ』も 最初はコーヒーハウスだったんです。
当時、ロンドンのタワーストリートにあった『ロイズコーヒーハウス』に
保険引き受け業者や ブローカーが たむろするようになり
次第に 店は 取引の場所を提供するようになったんです。
時代とともに コーヒーハウスではなくなり 保険機構に 変わっていき
ロイズの名前だけが残ったんです。
ちょっと『へぇ〜』な話ですよね
2008年09月29日
チョット早いけど 他に先駆けて『コーヒーの日」
全日本コーヒー協会が1983年に制定しました。
一般的には あまり有名ではありませんが
コーヒー業界では 一大イベントです!?
国際協定によって,コーヒーの新年度が 始まるのが10月1日。
この日から コーヒーの新しい年の始まりになるから…
という理由からです。
10年前位は、「江戸時代に長崎の出島に コーヒーが伝わり 日本人がコーヒーを初めて飲んだ日に ちなんで」なんて言われてたような気がします。
いずれにせよ コーヒーが美味しく飲める 秋の始まりですね 
他にも調べてみたら あるわあるわ・・・
磁石の日,法の日,ハンコの日,土地の日,日本酒の日,ネクタイの日,眼鏡の日,香水の日,デザインの日,国際音楽の日など 全部で15もありました…
10月1日は 日本中がフェスティバルです…
2008年09月25日
気まぐれブレンド
あ
んまり宣伝したくないんですけど… まめぞうの 隠れたベストセラーに
気まぐれブレンド200g500円があります。
その日の 「気まぐれで」ブレンドしてます。
使ってる豆も 定番の商品を 使ってるので 品質はお墨付きです。
『AとBとCをブレンドするとこんな味になるのかぁ…』
など チャレンジ的な 配合も出来るので オイラも勉強になります。
まあ 自分で 言うのも 何ですけどウマイです。
で、 安いです。 更に焙煎してあるので待たせません。
ただ 常に置いてある商品でもないので その点は ご了承くださいませ。
とっても お買い得感のある商品です。一度お試し下さい。
2008年09月09日
2008年08月23日
2008年07月14日
アメリカに伝わったコーヒー
今日は、すごい湿度で 不快指数300%位ですね。 なんだか 怪しい 雲行きで
カミナリも鳴ってます。
夕立が 来そうな感じです 。外を見ると 慌てて家路に急ぐ 人が目立ちます。 雨に濡れずに帰れると良いですね
さてさて、今日は、
キャプテン・ジョン・スミスによって 新大陸アメリカに初めて コーヒーが 紹介された事の話です。
1773年の『ボストン茶会事件』が きっかけでした。
世界史の 教科書にも載ってましたよね。
『ボストン茶会事件』とは…
イギリスは,コーヒー貿易で オランダや フランスとの 競争に破れ, 紅茶貿易に 転換しました
イギリスは 『茶条令』を 発布し 輸入紅茶を 独占し 価格を吊り上げ, さらに 重税を課しました。
当時,イギリスの 植民地だった アメリカは これに 猛反対
ボストンに 停泊していた イギリス東インド会社の 船を 襲撃し
積み荷の 紅茶を 全て 海に 捨ててしまいました。
この事件を きっかけに アメリカはコーヒーの 消費量が伸びていきます。
やがて 独立戦争,西部開拓時代を経て アメリカは 世界最大のコーヒー消費国, 世界で 1番コーヒー好きの国に 変わっていく事になるのです。
前回のコーヒーの歴史に書いた ナポレオンの 話もそうですけど、 コーヒは、世界史の 重要な出来事に 絡んでくる事も多いですね
2008年06月29日
キャッチコピー
いろんな商品に 多かれ少なかれ 様々な キャッチコピーが 付いていて その良し悪しで
思わず 手を延ばして 買ってしまう…
なんて事ありますよね。 まめぞうでも 頭を悩ます所でもあります。
今日は そのキャッチコピーの話しです。
今年で 日本人が ブラジルに移民して100年になります。
第1回目の 移民が ブラジルに渡った翌年, ブラジル政府は その御礼と日本での コーヒーの普及も兼ねて コーヒー豆の 年間90トンにも及ぶ
無償供与を 決めたのです。
それを 捌く為に 『カフェパウリスタ』が 銀座にオ−プンします。
本格的な コーヒーを 提供するこの店が 現代の喫茶店の 原形になって 行ったのです。
この銀座本店に 続き 名古屋,神戸,横須賀と 支店を増やし 10年の間に 22店を 数えるまでになり コーヒー飲用を 全国に 広める事になりました。
その カフェパウリスタ銀座本店 オ−プンの時, 無料サ−ビスや 試飲会など当時としては 奇抜なものでしたが, 銀座通りの 道行く人々に
配られた コーヒーの試飲券に 書かれていた キャッチコピーが 洒落ていました。
『悪魔の如く黒く, 地獄の如く熱く, 天使の如く清らかで, 恋の如く甘い』
ど〜です 凄くないですか? このフレ−ズ!
こんな フレ−ズを 思い浮かべたいモンですね
2008年06月13日
ナポレオンとコーヒー
「私の辞書に不可能はない…」って 本当に言ったのかなぁ。
普通の人は、なかなか言えませんね、よほど自分に自信がないと。
ほとんどの方が 知ってるであろう フランスの皇帝ナポレオンとブラジルコーヒーには 実は密接な関係があります。
ナポレオンは 1807年にイギリスへの植民値からの 物資を絶つ為に
イギリスの同盟国であった ポルトガルを占領し 港を閉鎖して 大陸封鎖を行いました。
翌年、 ついに ポルトガル王室は, 当時、植民地であったブラジルに首都を移転します。
その当時 世界最大の 砂糖輸出国であったブラジルは 砂糖を輸出することが 出来なくなります。
また 砂糖を 輸入出来なくなった ヨ−ロッパ各国は 自給自足を 余儀なく
される事になります。
この中で プロシア(現ドイツ)が 甜菜(砂糖大根)から 砂糖を作る事に 成功し
ブラジルの 砂糖産業は 大きな打撃を受け、 転換期を迎える事になります。
結果的に ブラジルは 砂糖産業から コーヒー産業へ大きくシフトし
世界第一位の 生産国になる スタートを 切ることになったのです。
2008年05月07日
世界に広がったコーヒー栽培
コーヒーの発見伝説の話を 先週書きましたが 今日はその続きです。
コーヒーが発見されてから コーヒーの苗木は 長らくイスラム教寺院で 厳しく管理され 持ち出しを厳しく 管理されていました。
その厳しい目を かいくぐり持ち出したのは 1600年頃メッカに巡礼に来ていた ババ・ブータンです。彼はその苗木を 南インドのマイソールで栽培し 南インド一帯は コーヒー栽培地として発展していきました。
インドからインドネシアに オランダ人の手によって コーヒーの苗木が入ったのは 1699年です。その後 フランスルイ14世に献上されます。
そこでも やはり 厳しい管理下のもと コーヒーは栽培されましたが、海軍士官ガブリエル・ド・クリューによって 持ち出され カリブの小島、マルチニーク島にたどり着きます。この木が原木となり 中米の国々に伝播して行ったのです。
その昔、コーヒーは、持ち出しを禁止され 厳しく管理した貴重品でした。
この二人の苦労によって コーヒーの栽培は 世界に広がっていく事と なったのです。
2008年04月29日
コーヒーの発見伝説
GWに入って やっと という感じで 天気が良くなってきました。すがすがしい爽やかな陽気です。遊びに行きたくなりますね。
さて、今日は人とコーヒーの出会いの代表的な話を2つ
1つ目は、「ヤギ使いカルディの伝説」です。
エチオピアのアビシニア高原には、野生のコーヒーが人知れず育っていました。
ある日、放し飼いにしていたヤギが赤い実を食べて興奮しているのを見た ヤギ使いのカルディが 修道院の僧侶と相談して その実を食べてみると
全身に精気がみなぎり、気分がスッキリしました。それ以降、僧侶たちは 修行の際の 眠気覚ましとして このコーヒーの実を煎じて 飲むようになったのです。
この話は聞いた事のある人もいるかもしれません。
あともう一つ・・・
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)
そうです。 
が 飲みたくなりますもんね 



